ライフスタイル

2014.05.24 UP

「エモーショナルボンド」男の幸せ、女の幸せ。


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この3年間、ものすごくたくさんの恋愛コラムを書いてきました。毎月毎月、飽きもせず書いてきました。連載している媒体によってはうまくプロモートしてくださるので、ヒットした記事もそこそこあり(そこそこね。3割バッターくらいで7割がダメダメみたいな)ひとみさんの記事といえば軽妙な恋愛コラムだよね……という認識を持っておられるひともいると思います。

 

ぼくが最初に書いたのは歌の歌詞と小説で、恋愛コラムはそのあとに求められて書き始めたのですが、一貫して「ひととはなにか?」という壮大なテーマを追っています。追っていますが19世紀のロシアではあるまいし、そういうことを大真面目に書いても、売れないので、時代のニーズに合ったかたちで「Webエッセイふうに」書いています。

 

時代とか、媒体が変化しても、変わらないのは「男女はしょせん騙しあい」という要素だろうと思います。いい意味での騙しあい。

大真面目に愛を誓い合ってお互いのカラダに刺青を入れたとしても、愛はどんどん変化してゆく。卑近な例で言えば、カップルのどちらかが浮気をするとか、相手に飽きたとか、付き合ってみてはじめてこんなひとだとわかってもう一緒にいたくないなど、どんどん変化していきます。

 

男と女はそもそも別の生き物だからエモーショナルボンド(それぞれの感性をうまくくっつける接着剤)が必要で、それが「いい意味での騙しあい」なんだろうと思います。騙しあいというのは、相手のことをちょっとばかり客観的に見られるからできることであり、それはじぶんのことを客観的に見ることにつながります。

 

若い書き手さんたちのなかには、大真面目に恋愛のことを書いているひともいて、それはそれで若さゆえの勢いがあっていいものですが、騙しあいである以上、軽妙に表現したいなとぼくは思います。

どんなに深く愛しあっても永遠におなじ気持ちでいることができない男と女の哀しさ(すなわち生きていくこと)に敬意を評する手段として軽妙さは外せないだろうと思うのです。

 

軽妙なエッセイを書く大先輩として遠藤周作さんがいます。遠藤さんは生前「軽妙な文章は格下に見られる」とぼやいていたそうですが、大真面目に男女を論じても論じても、論じきれないところを人々にわかりやすく見せる……つまり「生きるとはなにか? 人生とはなにか?」という哲学の広報部長さんとしての役割を氏は存分にまっとうなさったのではないかなと思います。

男女の幸せは騙しあいであり、そこからにじみ出てくるおかしみが生きていくうえで滋養になるのです。

 

※参考 『狐狸庵閑話』講談社(1970初版)ほか

ひとみ しょう

ひとみしょう

(小説家/作詞家/ANGIEシニアライター)

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