ハピネス

2014.02.21 UP

彼との人生、これからの私の人生 ~幸せが生まれる場所~


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過ぎ去ったことは過去のこととして、きれいに忘れてしまいなさい。新しく、いい運命を拓いていけばいいのだからと、その昔、志賀直哉が言いました。

原文は「過去は過去として葬らしめよ。そして新しくよき運命を拓いていけばいいのだ」という作家らしい書き方になっています。

過去を引きずって生きていてもいいことはないし、過ぎ去ったことなんてどうなるものでもないと言われても、引きずってしまうことはよくある話で。

 

あの日の深夜、愛犬は静かに息を引き取りました。ほくほくのご飯をラップにくるんで冷蔵庫に入れたように、彼は少しずつ少しずつ、でも確実に冷たくなってゆき、明け方には、毛布をかけてあげてもカチカチの冷凍食品みたいになってしまいました。冷たい霧雨が降る3年前の11月21日のことでした。

 

志賀直哉さんに「忘れなさい」と言われても、あの日のことを1日たりとも忘れたことがない。忘れたいと思ったこともない。

多くの人がそうだとぼくは思うのだけれど、氷よりも冷たいシルバーメタリックの鉄製の火葬炉の扉が閉まったときが感情のマックスであり、それ以来ぼくらは(ぼくと愛犬は)お互いに丘の上から望遠鏡で互いの存在を確認しあっているような感覚がずっとつきまとっている。お互いに米粒くらいにしか見えないのだけれど、それでもずっとお互いを確認しあっているような不思議な感覚。

だから、しあわせが生まれる場所は、ぼくにとってはいつも丘の上であり、これからのことを考える場所も丘の上。

 

なくした人が、なくなった人が、残された者になにをもたらすのか。人によってさまざまな解釈があると思います。ぼくは亡き愛犬・ミックさんから、もっとちゃんと人を愛しなさいということを教えられたように思います。なんの根拠もないけれど、強くそう感じます。

 

恋も仕事も、生きていることすべてが、毎日、判断の連続です。判断をまちがって、あらぬ方向に進みたくないから、人は(それが興味本位であれ)恋愛コラムを読んだり、テレビを観たり雑誌を読んだりするということもあると思います。

でも、なぜこういう判断をしたのか? 理由を言えないことのほうが多いと思います。なんとなく右を選んだとか、直感でとか、わけもなく……という判断の集積が「生きること」なんだと思います。

 

昨日、ふと鶏の唐揚げが食べたくなって、近所のお弁当屋さんで買って食べました。食べながら「オレはなぜ鶏の唐揚げを食べたかったのかな」と思いました。そのとき、「ああ、ミックさんが食べたかったのかな」と思いました。ある意味、馬鹿げた話ですが、わけもなくこんなことを思い、にっこりしました。

なんの根拠もないことが、人をしあわせに導くのかもしれません。

 

今春から「あのひのこと これからのこと」の連載がスタートします。ご期待ください。

 

Photo by sho

ひとみ しょう

ひとみしょう

(小説家/作詞家/ANGIEシニアライター)

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