趣味

2014.07.15 UP

「歳をとった女性」が男性に「もっと愛される」方法


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 平安時代中期の女房、『源氏物語』の作者で、一条天皇の中宮彰子に仕え、藤原道長たちから重んじられた「紫式部」のことは、ご存知の方も多いかと思います。

1000年以上たった現代でも天才と言われ、卓越した観察力・描写力を持った作家で、歌人でもある「紫式部」ですが、実は彼女、普段は「アホ」のフリをしていたことはご存知でしょうか?

1010年ごろの成立とされる、紫式部が彰子に使えていた頃の日記『紫式部日記』には、「教養をひけらかしていると思われないよう、“一”という字だって書けないフリ」をしていたことが書かれています。

紫式部は外交的ではなく、何かと言うと「私なんて……」と考える内向的な性格だったようです。

 

「ボケたふり作戦」を敢行

紫式部が結婚したのは29歳の時。当時で言えば、晩婚です。結婚した相手には既に妻がいたものの、娘も生まれて、まずまず幸せな生活がおくれたようですが、結婚から3年後、夫は病で亡くなってしまいます。

 

そんな中、紫式部がおさえていた知識を全力投入して書き始めたのが『源氏物語』です。こちらは口コミで大ヒットし、お姫様(彰子)も読者になり、藤原道長にスカウトされて「インテリ作家」を売りに彰子の元で働くことになります。

この時、彼女は初めて働くことになったのですが、年齢は35、6歳と言われています。そこには、紫式部よりもうんと身分の高い貴族の娘もいれば、若いころから出仕しているベテラン女房もいる。そこで彼女は宮中でも、嫌な女だと思われないよう「ボケたふり作戦」を敢行したのでした。

 

他の人より優れて見せようとしている人の将来は、どうして良いものになるでしょう

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そんな紫式部ですが、同時代に活躍した、彼女より7、8歳年上の「清少納言」のことが大嫌いだったようです。

『紫式部日記』には「清少納言こそ、したり顔でとんでもない人。教養をひけらかして漢字を書きまくっているけれど、よく見たら足りないことだらけ。他の人より優れて見せようとしている人の将来は、どうして良いものになるでしょう」と辛らつな意見を述べています。

 

清少納言は一条天皇の皇后「定子」の女房で、紫式部は一条天皇の中宮「彰子」の女房。当時は一夫多妻制の時代だったので、定子も彰子も二人とも一条天皇の妻だったのです。個人的な恨みと言うより、ライバルの妃に使えたという政治的な立場が言わせた悪口だったのかもしれません。

 

ネガティブだからこそ描ける人間同士の激しい物語

何かと考えすぎな人だったようで、次第に宮仕えに慣れてきた自分に対しても「慣れてしまって、いやな我が身だわ」とネガティブを発揮していたようですが、彼女は出仕によって『源氏物語』の舞台である宮廷生活の実際に触れ、物語を書き続ける上での経済的援助を受けることができました。

内向的でぐるぐる考え続ける彼女だったからこそ、人々の思惑に鋭い観察の目を光らせ、現代の人々をも楽しませる、激しい物語を描けたのだろうな、とも思います。

 

『紫式部日記』には、呼び名が明記される人だけでも、総勢140名余りが登場します。「名前だけ知っているあの人」が日記の中で、身近に感じられるのは何だか嬉しかったです。

今も昔も、仕事をして、恋をして、時には泣いて、悩んでいた女性たちがいたのだなあ、と1000年あまり前の女性に励まされてしまいました。

 

※参考:

紫式部/山本淳子=訳注『紫式部日記 現代語訳付き』(角川文庫)平成22年

酒井順子『この年齢だった!』(集英社)2012年

蛇蔵&海野凪子『日本人なら知っておきたい日本文学』(幻冬舎)2011年

 

Photo by Pinterest

さゆ

さゆ

(フリーライター)

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