ハピネス

2014.03.06 UP

恥ずかしがりやのバリ人はストレスがない?~バリ人の幸せ観~

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『写真送ります』『バリ人の幸せ観~恥ずかしいこと多くても、ぜんぜん窮屈じゃない。恥ずかしがりやのバリ人の方が、どうしてストレスがないのか』

年齢とともに恥じらいがなくなっていく感覚、みなさんも感じたことがありませんか。恥ずかしいことが少なくなることは、しがらみから解放されて自由になれるというか、悪いことではないと思っています。なのにどうして未だに窮屈に感じるのか。

 

今年でバリ島に移住して、丸4年が過ぎました。バリの人たちは、すごく恥ずかしがりやで、他人の目をとても気にします。なのに「ストレスってどういう気持ち?」ってくらいストレスがない。

そんなに人目を気にするのに、なぜ解放感にあふれているのでしょうか。

 

恥ずかしいってどこからくるんだろ?

そもそも「恥ずかしい」感情ってどこからくるんでしょ。

他人の目がなければ、恥ずかしいなんてことはありませんよね。社会の中で生きていく以上、人との関わりは永遠に続きます。だから恥ずかしいことも続く。

みなさんの恥ずかしいってどんなことですか。

スッピン、仕事の失敗、フラれたこと? 飲みすぎて記憶がなくなり、気づいたら会社の役員室でパンツを裏返しに履いて寝ていたこと? あ、それは私か。

そこで、バリ島です。

 

バリの田舎では、地域のコミュニティーの結束が強く、何かと言えば即召集&ミーティング。面倒くさいったらない。

移住した当初は無視してしまおうと思っていましたが、しきりと周囲が「行かなきゃ、恥ずかしいでしょう」とかうるさい。仕方なく出向いているうちに、少しずつ見えてきたことがあります。

バリでは、人はひとりでは生きていけない」ってこと。

引きこもっても、恥ずかしいことはなくならない。

「他人は関係はない、私の価値観で生きていく」なんて言ってみても、誹謗されれば気になり、恥ずかしいと思う。恥ずかしくて恥ずかしくて、引きこもってしまったりね。それで引きこもったから、もう恥ずかしくないかと言えば、そうではなくて、今度は引きこもったことが恥ずかしい。

やっぱり人間は、人と関わるしかないのかもしれません。

 

羞恥心をひとり肯定してみても、恥ずかしさから解放されるなんてことはないのでしょう。逆に自尊心が強くなって、頑ななおばさんになっていたり。

ならば恥ずかしさを受け入れてしまった方が楽になるのではないか、と最近は考えています。バリ人のように。

恥ずかしいのは、他人とつながってる証拠

バリの人たちは他人と関わることが、生きる大前提になっています。だから恥ずかいことが多いのは、それだけ他人とつながっている証拠

誰でもミスするのは当たり前だから、他人のミスにも寛容で、だからこそ長く気にしたりはしません。この大らかさこそが、バリのゆったりした空気感をつくっているように感じます。

私たち日本人から見れば、やさしいというよりも甘いと感じることは多いけれど、窮屈じゃない環境ってのは、それだけで価値があるのかもしれません。

バリではなくても、やっぱり人はひとりでは生きていけないものですから。

 

Photo by 著者

平 理以子

平 理以子

バリ島在住フリーライター/コラムニスト

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